ADESSO nu,5 ジビエと食と私
2010年 11月 09日
秋冬フィオッキ恒例のジビエ料理をご紹介する前に
私のジビエという天然の生き物を調理する事に対しての今の思いを書きます。
人が食べる、という事。
それは人が生きる為に、他の命を殺生する事です。
人は他の生物より遥かに進歩した生き物であり、
そこには理性や知性、感情などを持っています。
そして“何でも食べる生き物”です。
ここに人それぞれの価値観が存在していると思います。
今、野禽類の駆除に対していろいろな問題が出ていますし、
野山の天然の命を狩猟する事がいろいろと問題視されいます。
そして、“何でも食べる生き物” の私たちは今、
環境問題という大きなテーマが目の前にあります。
前にも、当ブログでカブトガニについて書きましたが、
確実にこの問題はこれからのキーワードであると思っています。
そこで、毎年行うジビエ料理について私の考えなのですが
(あくまでも私個人の意見です。)
まず、天然の命、山の恵みを頂くにあたり
今の時代では「必要最小限に抑えるべき」と考えています。
ただ、この “必要最小限” の言葉の範囲は
あくまでもジビエ料理を行う範囲内です。
人は昔から食べる為に家畜を飼っていましたが、
現代程のシステムは当然なく、野禽類の狩猟も生活に一部でありました。
魚に関しては、現代でも養殖より自然の恩恵である天然の命が生活の一部です。
そういった中で私が思う事は、自然界の生命のバランスの範囲内であれば
天然の哺乳類の命を頂く事は、
人が生きるにあたり大切な栄養源を摂取する意味を込め
“食” に関して必要な事であると思っています。
その中で、食べられるものを、食べ易く、より美味しく
そして、その存在に価値をつけてあげる事こそが我々の仕事であると思っています。
ですので、取り扱う食材を大量に作れる料理にし、大きな宣伝を打ち、
利益の道具という意味だけのものにはしたくありません。
思いっきり、手間暇かけて、今出来るかぎりの事をしたいと思っています。
ジビエというと、料理人の “腕の見せ所” 感が強いのですが、
この “腕の見せ所” は料理人の存在自慢では無く
素材の為にしてあげられる事の “腕” で無ければと思う今日この頃です。
召し上がって下さる方、その良さをわかって下さる方がいて、
私たちは作れ、その物の価値が上がります。
今回のコースもジビエという天然の素材に対し
今の私たちが出来る精一杯の試行錯誤をし
価値ある存在に仕立てあげるジビエコースになったと自負しております。
ですので少々価格設定は上がりますが
是非、野山のエネルギー、そして自然の恩恵を
感じて頂ければ幸いに思うADESSOです。